蟻の妄想

よく晴れた日、とある公園でのこと。少年がサッカーボールで遊んでいる。リフティングをしていたボールがちょっとバランスを崩したせいでつま先に当たり、ポーンと跳ね、公園の周囲に植えてある大きな木の根元にコロコロと転がって止まった。少年には、この情景が、自分のミスで相手チームの大男に、ボールを支配されてしまったかのように映った。「よーし、見てろ」​少年はそう​呟くと、木の足元のボールに猛烈なスライディングチャージを敢行したのだった。

さて、少年がスライディングをした木の根元には、実はかなり大きな蟻の巣があって、お天気が良いこともあり大勢の蟻が行列を作っていた。そこへ​少年が滑り込んで来たものだから、巣穴は破壊され、行列は分断され、多数の犠牲者が出ることとなってしまった。

惨状を重く見た蟻の長老たちが言った。

「これはわれわれ蟻が、無断で人間様の家に入り込み、食料を探していることに、人間様がお怒りになったのじゃ。」

「詫びねばならん。許しを請わねばならん。」

「人間様。ここにありますのは、次期分封の際の女王蟻として大切に育ててきたサナギです。これを捧げますので、どうかお怒りをお収めください。」・・・

人間、もともと怒ってないし。

蟻が居たこと知らないから、被害とかも知らないし。

もし、本当に怒ったのなら、巣穴ごと全滅させる方法知ってるし。

蟻のサナギ貰っても嬉しくないっていうか、迷惑だし。

蟻の長老達の妄想は、全て間違いで、犠牲出しただけ。

何故?信じる?何故?理由を問いたださない?

何故自分で考えない?

冷静になって考えよう。長老の妄想うそばかり。

それで命が失われる?

中でも一番いけないことは、人間に対し自分たちの価値判断を押し付けていて、それに気づいていないこと。自分たちにとって大切なものは、人間にとっても大切なものだと、疑いもしないこと。

「お宅の娘さんを、私のお嫁さんに下さい。」と言って、痩せたヤギ20匹連れて、男がやってきたら、あなたは嫁がせるのだろうか?

「私の国では、このようにして貰い受けに行きます。しかも、ヤギ20匹は、近年私の村では最高額の引き出物です。」・・・・

自分の慣習や価値観を疑うことができない、他人の価値判断を理解することができない者に、娘嫁がせて、娘が幸せになるとは到底思えない。

「人間様」と・・・畏れ敬うのであればなおさら、人間と自分たち蟻に価値判断の違いがあることを知って、「人間様」側に寄せていかないと、意味ない。

人間の「神様」は、賽銭とか布施とかで金を集め、立派な建物に住み、酒と名産品を貢がせ、時として若くて交接経験のない女性を求めるようだ。

ここから浮かび上がってくる像は、金に汚く、見栄っ張りで、酒好きな「スケベじじい」しか見えてこない。

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